寝るのが怖いの、自分だけ?
二回目にして政治と関係ない話です。
みなさん、死ぬのは怖いですか?
少し前に読んだNewtonの記事で、
養老孟司先生が
「死ぬのは怖くない。自分のコントロールが及ばなくなるのは睡眠と同じだから。(意訳)」
とおっしゃっていました。
それを見て、私はますます死への恐怖を確信しました。
なぜなら私は毎日、寝ようと布団に入るたびに
睡眠への得体の知れない恐怖を感じているからです。
自分のコントロールが及ばないことへの恐怖
夢を見るという行為自体への恐怖
目が覚めた時の、夢と現実の狭間のような感覚
目が覚めた時の、寝坊してないだろうか、今は何時だ、という不安
あらゆることに恐怖を感じてしまいます。
こんなことを考えていたら、ますます眠れません。
そしてまた朝を迎えてしまうのです。
人は睡眠によって、日常的に死を経験しているとする説があります。
そうやって死への恐怖を軽減するのだと。
納得しました。
でも私にとっては、毎日の睡眠によって死への恐怖を再認識させられているような感覚なのです。
恐怖は軽減されていません。
キルケゴールのような、熱烈な信仰心を持って、あらゆるものを信じ抜くことによってしか解決されないのか。
子供のころ、親戚が集まったときに雑談でこのような話をしたことがあります。
そうしたら親戚のうちの1人に、
「お寺に話に行こう」
と言われました。
真○苑でした。
お寺といっても、街中のビルの一室です。
中学生の頃から新興宗教マニアだった私は、新興宗教の「稼ぎ方」を知っていました。
その上でお金を払う(お布施する)ということが、どうしてもできませんでした。
お寺に通うことはなく、今に至ります。
私の死への恐怖は、何によって消えるのでしょうか。
忘れるしかないと思いながらも、
毎日睡眠によって死を意識し、恐怖に苛まれる夜が続きます。
何も考えられないほどに忙しく過ごすしかないのでしょうか。
こんなことを考えてる暇があるくらいなら、自己研鑽に励みたいものですね。
そう思いながらも、人生の意味と、死への恐怖を紛らわす方法を思考し続けてしまう毎日です。
最後までお読みいただきありがとうございました。